経歴

経歴
1991年8月 沖縄県宮古島市にて誕生
1999年 8歳、マティダ東FCでサッカーを始める
2005年 14歳、宮古島に視察に訪れていた日本サッカー協会会長の田嶋幸三氏(当時日本サッカー協会技術委員長)の推薦により沖縄県トレセン選出
2007年 16歳、沖縄県立那覇西高等学校入学。同校サッカー部入部
2010年 18歳、岐阜経済大学入学。同大学サッカー部入部
2014年 22歳、岐阜経済大学卒業し、県内金融機関に就職
2017年 26歳、REGATE沖縄ドリブル塾設立
その他 社会人以降は、自身も沖縄県社会人リーグ所属のチームにて現役プレーヤーしています。

 

自己紹介

当塾代表でありコーチの【 奥平 卓也(おくひら たくや) 】の紹介です。

 

幼少期

僕は小学校2年生の頃、
友達から誘ってもらったことをキッカケにサッカーを始めました。

最初はすぐに辞めるつもりで練習に参加したのですが、
ボールを蹴る喜び、楽しさを味わい、
サッカーの魅力にどんどん引き込まれ、
いつしか僕の夢は「プロサッカー選手」
になることに変わっていました。

僕は宮古島出身で、中学までは宮古島で育ったのですが、
高校ではもっと高いレベルでやらないと
プロにはなれないと判断し、
沖縄県では全国大会最多出場記録を持つ
15歳で故郷の宮古島を離れ、沖縄本島にある「那覇西高校」に進学しました。

 

高校~大学時代

沖縄県全域からサッカー上手な選手が集まる高校は、
当然レベルも高く、僕にとって最大の成長の場となりました。

大学でもさらなる高みを目指し、
Jリーグチームとも業務提携を行なっていた
「岐阜経済大学」へ進学。

当然大学でもプロを意識しての選択だったのですが、
残念ながら「プロサッカー選手」になることは出来ず、とても悔しい思いをしました。

しかし、これまで僕の人生には常にサッカーが側にあり、
「プロサッカー選手になる」という夢を抱き挑戦し続けたからこそ、
僕の「心」は大きく成長したと確信しています。

 

プロサッカー選手を断念し、上場企業(金融系)へ就職

そして、プロを断念した結果、
僕は県内の「一部上場企業(金融系)」に就職しました。

自慢や名誉、お金のためではなく、
サッカーを通した経験は「社会に出ても役立っている」ことを知ってもらいたかったからです。

それと親や周りの人達に、サッカーだけの人間とは思われたくなかった(笑)
だから僕は、「就職活動」という場でも大きなチャレンジをしました。

 

【2017年】夢に向かってチャレンジ

現在(2017年)は、社会人になって4年目になりますが、

今の夢は

サッカーの楽しさ、

挑戦することの大切さを多くの子供達に伝えること

そうです、

僕は「 次の夢へのチャレンジ 」をするために、

この「 REGATE沖縄ドリブル塾 」を立ち上げました。

【 夢を持って失敗を恐れず挑戦し続ける 】

これ(チャレンジ・挑戦)がいかに大切か
僕がこれまでの人生で得た経験を、
サッカー通して、ドリブルを通して
伝えていきたい。

そんな熱い想いをもって活動しております。

子供達のサッカーの技術面はもちろんですが、子供達の人間性にもしっかり向き合い、サッカーを通して成長させます!

サッカーコーチというよりは、
「サッカーが上手いお兄ちゃん」のような存在を目指し、子供達に指導していきます!